6月を迎えて:後悔のない道を
- hisanorifukunaga
- 6月1日
- 読了時間: 3分
更新日:6月14日
ふと気が付けば、5月もあっという間に過ぎてしまいました。
最近、学会会場へ足を運んでも上手く質疑応答ができませんし、投稿した論文はリジェクトされてしまっています。仕事がなかなか順調に進まず、自身の思った通りにことが運ぶことは珍しく、気持ちの落ち込む日も少なくありません。
しかし、周囲の自然の美しさにすこしだけ救われています。学会やセミナーなどで出張した後に北海道へ戻ってきて、ふとした瞬間に綺麗な花を見つけて、季節の変わり目を感じさせられるような日がありました。
つまり、落ち込むこともあるけれど、私は元気です。
研究室を運営することを、よく中小企業の自転車操業に喩える人たちがいます。
たしかに、人、もの、金の3つの輪を上手く回転させながら、前へ進もうとする点は似ているような気がします。そして、もし失敗すると、自分だけではなく、周囲を巻き込んで転倒してしまい、大きな事故につながりかねないという点も。
いつも、できるだけ上手に運営したいという気持ちはありますが、なかなか難しい局面に直面することも避けられません。そういう時には、やはり、(失敗したくない)と思ってしまうものです。
しかし、先日、東京に出張した際、電車の中で軽井沢高原教会のメッセージを見かけました。そこには、
失敗しない道を選ぶのではなく、後悔のない道をつくる
と書いてありました。
(なるほど、良いメッセージだな)と思ったのと同時に、失敗を恐れている自分の心の動きに改めて気付きました。歳月を重ねて、知らず知らずのうちに、守りの心境に立っていたようです。もともと、失敗を恐れて挑戦を控えるのではなく、諦めずに挑戦する方が自分の性には合っているのに。
私が学術機関において放射線被ばくに伴う健康リスクを研究するのは、「答え」が欲しいからです。
それは私自身の単なる好奇心から生じる素朴な問いに対する答えであったり、数十年もこの分野の研究者たちを戸惑わせてきた問いに対する答えであったりします。もし、それらを知りたいと願うならば、やはり研究するしかないと思われます。
とはいえ、そもそも答えとは、得るものではなく、いつだって突き付けられるものです。手を伸ばしても届かなかったり、ふと気が付いたら掌中にあったりします。たとえ、その答えが望まぬものだったとしても、ときには痛みを伴うものだったとしても…。
人生には色々なことがありますが、やはり、失敗しない研究をするよりも、後悔のない研究をしたいと思います。その研究の道の途中で、もしかしたら出会えるかもしれない答えを探して。
(文責:福永)

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